erlenhof.gif(587 byte) ネレイーデ物語〜Nereide - Geschichte einer Wunderstute〜

2. 苦戦の連勝街道

 明け3歳春。陣営は一つの懸念を抱えていた。ネレイーデの食が細いのである。ライバルたちは既に一叩きし、クラシック戦線に向け態勢を整えてきている。だがネレイーデの仕上がりは悪く、レースへ出すに出せない状態だったのである。而して彼女は、ドイツの1000ギニーであるキサッソニー・レネン(Kisasszony-Rennen, 1600m)へ直接臨むことになったのである。そのためか、彼女はデビュー以来初めての苦戦を味わうことになった。

 レースは、2歳時のライバル、アレクサンドラを含む計8頭立て。スタートでは、やや入れ込んでいたグロースウラリア(Grossularia)が一旦先手を切って飛び出すが、ネレイーデがすかさずハナを奪い、ハイペースの展開となる。アレクサンドラは少し離れた後方に控えた。最後の直線、前年までのネレイーデならここで一気に後続を引き離すところだ。しかし2番手のグロースウラリアがむしろネレイーデに詰め寄り、更にその直後にアレクサンドラも迫った。登り坂で競り合う3頭。坂を登り切ると、ゴール前100mでアレクサンドラとグロースウラリアが力尽き、ネレイーデは何とか2頭を振り切った。しかしそこへ、ラステンベルガー騎乗のウンフェアザークト(Unversagt)が後方から猛然と追い込んできた。観衆が固唾を呑む中、2頭ほぼ並んでゴール。ウンフェアザークトは僅かに首差届かず、ネレイーデはデビュー以来の無敗記録を辛うじて守ったのである。

“ネレイーデは距離が持つのか?”

当然の如く湧き起こった疑問である。実績のない兄姉たちは、皆ステイヤーではなかったようだ。だが一方、イタリアの同系はステイヤータイプも輩出している。それゆえ人々は、不安と期待に揺れながら独オークス、ディアナ賞(2000m)を待つことになった。

 レース前最終追切、ネレイーデは僚馬グラウコス(Glaukos)、フローリア(Floria)と併せるが、2頭から数馬身遅れて入線した。陣営もこの調教結果には理解に苦しんだ。併せた馬たちの方がネレイーデよりスタミナがあったのか、それとも逃げ馬のネレイーデを後ろから追わせたせいだろうか。陣営は後者と信じ、本番での変わり身に期待をかける。だがレース前日、更なる不安要素が一瞬厩舎を襲った。ネレイーデが挫石し、痛みを見せたのである。だが幸いにも痛みはすぐに治まり、陣営は何とかレース当日を迎えることができた。

“果たしてネレイーデは、無事勝てるのか?”

そのような不安が漂うレース直前、しかしボルケは自信を持ってこう答えたという。

「この馬が負けるとは思えないよ。」

 レースは10頭立て。スタートが切られると、ネレイーデは最内から飛ぶようにダッシュした。しかし、グロースウラリアが強引にネレイーデに並びかける。ヴァルトフリート牧場陣営は、アレクサンドラの末脚を活かすため、グロースウラリアをペースメーカーにし、ハイペースに持ち込もうと目論んだのである。だがネレイーデは持ったままハナを譲らず、グロースウラリアは追い通しで併走するのがやっとであった。アレクサンドラはその1馬身後ろに付け、その後ろをアーベントシュティムンク、ウンフェアザークトらが一団となって続いた。

 直線コースに入る。グロースウラリアはネレイーデに尚も食い下がるが、登り坂半ばで力尽きた。そこで満を持し、アレクサンドラがスパートをかける。ドイツの伝説的ジョッキー、オットー・シュミット(Otto Schmidt)の鞭に応え、アレクサンドラはライバルに向かって猛然と襲い掛かった。その後ろからアーベントシュティムンクもいい脚で追い込んでくる。残りは完全に後方へ置かれた。残り100m、アレクサンドラがネレイーデを捕えようとしたその瞬間、ネレイーデの脚が再び弾けた。ここで勝負あり。1馬身1/4という着差以上の強さで、ネレイーデは牝馬クラシック2冠を制したのである。しかも、タイムは2:04.6というレースレコードであった。この記録をディアナ賞が距離延長される1972年までに上回ったのは、ネレイーデと並び称されるドイツ競馬史上の大名牝シュヴァルツゴルト(Schwarzgold)のみである(2:04.0、1940年)。この結果にネレイーデの距離不安説は、一先ず退けられる格好となった。

 だがそれにも拘らず、ネレイーデに対する不安説は消えなかった。というのも、2歳時には歴然としていたアレクサンドラとの差が、3歳になって明らかに接近していたからだ。しかもアレクサンドラは、ディアナ賞前後で、決して一線級とはいえない牡馬に敗れているのである。またその牡馬たちは、ダービー前哨戦であるウニオン・レネン(Union-Rennen, 2200m)で、ペリアンダーに完敗していた。それゆえエーレンホフ牧場陣営でも、ネレイーデより、ウニオン2着のイドメネウス(Idomeneus)に対する期待の方が高まっていた。結局陣営は、ネレイーデのダービー出走を決断できぬまま、ハンブルク競馬場でのダービー週間集中開催を迎えることになる。



3.空前の電撃ダービー

はしがき − 2


 

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